故郷未だ忘れがたく~ジュゼッペ浅倉物語 5

                    by があわいこ



 カーチャリ―男爵夫人、べリンダの誕生日が二日後に迫っていたが、ジュゼッペはもう何日も家へ帰らずに研究に没頭していた。
そしてその日も科学アカデミーの研究室で夜遅くまで調べ物をしていた。
本によって成分表がまちまちな薬についてどれが正しいのかを見極めようとしていたのだ。

その時、その研究室のドアが激しくノックされた。
ドアを開けるとそこにはカテリーナがいた。頭からスカーフをすっぽりとかぶって震えている。
「どうした?何かあったのか?!」
何を訊いても青白い顔で何も答えようとしない彼女を中へ入れると急いでストーブに石炭をくべた。

 口元に添えられた白い手指も小刻みに震えていたが、か細い声で絞り出すようにカテリーナは話し始めた。
「お義父さまとお義母さまが・・交通事故に遭って・・し、し、死んでしまったの。・・誰かに殺されたような気がしてならないのよ」
「なんだって?」
ジュゼッペは自分の耳を疑った。(まさか、マフィアが!?)
「なぜ事故じゃないと思うんだい?カテリーナ」
ジュゼッペはカテリーナの冷たい頬に手を当ててそう訊いた。
「散歩から戻って、いつものように屋敷の前の舗道に車いすの二人を待たせていたの。門扉を開けに行っている隙に突然見たこともない大きなトラックが真っすぐ車いすに突っ込んできたのよ。見通しの良い真っすぐな道なのに、わざと歩道に乗り上げるようにして・・車いすごとひき逃げしていったの」
カテリーナの流す涙がジュゼッペの手にも伝って来た。
「わかった。すぐに帰ろう。一度家に寄ってから病院へ向かう。それでいいね」
だが、カテリーナは首を横に振った。
 救急搬送された病院でカテリーナは『両親の死亡』を聞かされたという。
しかし泣いている暇はなかった。
なぜなら、カテリーナが霊安室を出たところで秘密警察と名乗る全身黒づくめの男たち数人に取り囲まれたからだ。
そしてサイン入りの借用書を何枚も見せると男爵には相当な金額の借金があり、死んでしまったからにはカテリーナ、娘のお前に全額を返済してもらおうと迫ってきたのだった。
実は現在この国では爵位があるといってもそれは飾り物に過ぎない。家屋敷があるだけでも大したものだったのだ。
その屋敷もすでに借金の抵当になっていた。
カテリーナは逃げも隠れもしないから、ジュゼッペのところへ行かせてほしいと懇願してやっとの思いでアカデミーまで来たのだった。
もちろん、秘密警察の男たちは後をつけて来ているに違いない。逃げ切ることはできないだろう。

 「男爵さまの借金なんてきいたことがなかったな・・」
そう口に出したもののジュゼッペには思い当たることがあった。
自分を科学アカデミーに通わせてくれるための資金を調達したのではないか?それなら自分にも責任がある。
ジュゼッペはここから秘密警察の男たちに見つからないように脱出することを考えていた。
この国は警察もギャングも同じだ。
普通に暮らしている分には何でもないが、一度目をつけられたら容赦はない。
死ぬまでやつらに監視されて言いなりになるのだ。
そのうちもっと強大な悪の組織にこの国は乗っ取られて支配されるんじゃないかとジュゼッペは感じていた。

  研究室の隅に小さな手提げ金庫があった。
開けるとそこにはわずかだが現金が入っていた。
ジュゼッペは手刀を切るとそれを上着のポケットに押し込んだ。
赤く塗られた非常用の懐中電灯をカテリーナに持たせると非常階段を使って地下まで降り、そこから下水道へと入っていった。
幸い水量は少なく、二人はしっかりと手をつないで懐中電灯の明かりだけを頼りにどんどん進んでいった。
(このまま街はずれまで行けるはずだ。逃げるだけ逃げてどこか遠くで親子3人で暮らすんだ・・)
ジュゼッペのそんな思いはカテリーナにも伝わっているようだった。

 どれくらい歩いただろうか?ちょっと先のほうに明かりが漏れている場所がある。
夜が明けたのだろう。ジュゼッペは明かりの下まで来るとマンホールのふたをそっと持ち上げて外の様子をうかがってみた。
すると、朝焼けの光の中に誰も乗っていない軽トラックが一台止まっているのが見えた。
ジュゼッペは注意深く周囲を見渡すと下水道から這い上がり車に素早く近づいた。そして躊躇することなく小型ナイフをポケットから取りだすとあっという間にドアをこじ開けた。
無言で手を振ってカテリーナを呼び、助手席に押し込んだ。
「今更だけど、あなたが作ってくれた十字架を置いて来てしまったわ」
カテリーナは身を屈めるようにしてそう小さな声でつぶやいた。
「いいさ。あれは再会を願って作ったものだから。今はこうしていつも隣りにいてくれる。あれはもう用済みだ」
そう言いながら、ジュゼッペは細長い身体を器用に畳んで運転席の下に潜り込むと、その小型ナイフで今度はステアリングコラムのパネルを外し、配線を剥き出しにするとワイヤを直結させた。
バチっと火花が飛んでエンジンがかかった。
 とにかく遠くへ行こう。
それだけを考えてアクセルを踏み夢中で車を走らせるジュゼッペだった。
「どこへ行くの?」
不安がるカテリーナに
「この国のことは隅々まで知っているつもりさ。5年以上もあちこち放浪して回ったからね」
ジュゼッペはそう言うと灰青色の瞳できっと前を見据えた。

 太陽が頭のてっぺんに昇りきったころ、ガソリンが無くなって軽トラックを乗り捨てた。
ここまで来ればもう追っ手は来ないだろう。
ホントワール国が広くて助かった。カテリーナを探している時とは正反対だ。
そう思ったらすごくお腹が空いていることに気が付いた。
「お腹、空いていないか?」
そう訊くジュゼッペにカテリーナは大きくうなづいた。

その時、どこからかリンゴーン!と鐘の音が聞こえてきた。
「そうか、今日は日曜日だ。近くに教会があるみたいだ。行ってみよう」
二人は気を取り直して再び歩き始めた。

 その教会のジャン=ペーター神父はジュゼッペとカテリーナの姿を一目見ると何も事情は聞かないまま教会の裏にある物置小屋に案内してくれた。
「ここを少し片付ければ、住めるようになるだろう」
そしてカテリーナが妊娠していることを知ると
「ここで赤ちゃんを産みなさい」
そう言ってお腹の子を祝福してくれた。
 「僕、教会の裏に住むのは2回目です。1回目の時はまだほんの子供でしたけど」
ジュゼッペがそう告白するとペーター神父は人懐っこい笑顔を見せた。
「そうでしたか。これもきっと神のお導きですな。そうそう、ここはその昔は馬小屋だったのですよ。今でも年寄りたちはここを『馬小屋』と呼びますが、気にしないように」
そう言うと、がっちりとした大きな体には似合わない子供のような丸い顔をクシャッとさせた。

 次の日、近所の農家に住むリュームが教会にやって来た。
街へ出かけた時に盗まれたと思って探していた軽トラックが村はずれに乗り捨てられていたというのだ。
だが、あちこち故障していてどうにかならないかと訴えてきたのだ。
それを聞いたジュゼッペは大胆にもその車の修理を買って出た。
あっという間に修理が終わると(自分が壊したのだから簡単だった)リュームは感激して自分の畑で採れたジャガイモと玉ねぎをたくさん教会へ持ってきた。細くて小柄な体付きのリュームだったが見かけによらず力持ちだった。
「大したもんじゃのう、ジュゼッペさんは。どこぞでこんな技術を身につけたんかいの?」
リュームはジュゼッペを見上げた。
「亡くなった父親が自動車工場に勤めていたんです。見よう見真似っていうやつです」
リュームはかなりなまっていたが、何とか聞き取ってジュゼッペはそう答えた。
「なるほどのぅ。で、お父さんは何ちゅう車を造っていたんかいのぅ」
「ブルーコンドルです」
「ほぉ~う!」
リュームは感心した声を上げたがそれがどんな車かはわかっていないようだった。

 それからというもの村中から次々と壊れかけた車や農業耕作機械がジュゼッペのもとに持ちこまれた。
ジュゼッペは嫌な顔一つしないで丁寧にそれらを修理していった。

 やがて月が満ちてカテリーナは『馬小屋』で男の子を産んだ。村の頼もしいおかみさんたちの助けを借りて。
『馬小屋』のドアの前を行ったり来たりしていたジュゼッペは
「アサクラさーん、男の子ですよ!」
とリュームの奥さんに呼ばれた。
「はいぃっ!」
返事の声が裏返ったジュゼッペは、口を押さえると部屋の中へ前のめりになりながら勢いよく入っていった。
そこには幼子を抱いた聖母がいた・・。いや、カテリーナはマリア様より美しく、そして気高くジュゼッペの目に映ったのだった。

 お産の後片付けも終わり、『馬小屋』には三人きりになった。
カテリーナの胸ですやすや眠る我が息子を見ながらジュゼッペが話しかけた。
「ねぇ、カテリーナ。覚えているかい?カーチャリ―男爵夫人が言っていた子供のこと」
「行方不明になってしまった子供のこと?」
カテリーナはジュゼッペが廃材で手作りした小さなベビーベッドに生まれたばかりの子を寝かせながら答えた。
「あぁ。普通の身体じゃなかったと言っていたろう。あれ、どういうことだったんだろう?」
そう言いながらジュゼッペはその子のマシュマロのような頬と額にキスをした。
「どうしたの、突然・・?パパ、せっかく寝ついたんだから、やめて」
カテリーナはジュゼッペの顔を手でやさしく振り払った。
「こうやって子供を授かってみて普通じゃなかったらどんなにショックだっただろうと思ったんだ」
「私が聞いていたのはお腹にいた時は検査して確かに男女の双子だったのに生まれたときは一人だけだったということよ。そればかりかその子は男の子になったり女の子になったりしたというの」
カテリーナは説明するのが面倒くさいような様子でずっと赤ん坊の顔を見ながら話していた。
「そんな馬鹿なことがあるものか」
「私もそんなことは信じられないから、聞き流していたんだけどね。夫人は遅くに生まれた子だからそれが原因かしらと思っていたみたいよ。」
カテリーナは膝の上で洗濯物やおむつを畳みながら気が向かない様子で続けた。
「ずっと子供ができなかったので、どこか遠くの国の山奥へ行ったらしいわ。なんでもそこには子宝を授かるという霊験あらたかな泉が湧いていて、その水を汲んで飲んだ後に奇跡のように生まれた子だと言っていたわ」
「遠くの国ってどこだい」
ジュゼッペの問いにカテリーナは唇を曲げて答えた。
「国の名前は忘れちゃったわ」
疲れたのだろうか、そう言いながらカテリーナはベッドに横になった。

 だがすぐにジュゼッペのほうに寝がえりをうつと
「ねぇ、それよりこの子の名前はどうしましょう?」
そう訊いてきた。
「そうだなぁ」
ジュゼッペもカテリーナの隣りに潜りこんだ。
「『馬小屋』で産まれるなんてイエス様と一緒だわね」
カテリーナは天井を見ながら幸せそうな声を出した。
「うん、もしかして世界の救い主になったりするかな。一度死んでもまたよみがえるとか?」
ジュゼッペも天井を見ながらそう切り返す。
「親バカもほどほどに」
冗談も飛び出して笑うのは久しぶりだ。
コチンとお互いのおでこがぶつかり合ってもまだ笑っていた。
子供は本当にかわいいものだと聞かされてきたが、実感することができた。
世界は救わなくても、少なくとも父親と母親は救ってくれた。わが家の天使だ。

「ねぇ、ジュゼッペ。この子、誰に似ているかしら?」
カテリーナが隣りのベビーベッドで両親のじゃれ合いをものともせずによく眠っている息子に手を伸ばした。
「そうだなぁ・・髪の毛はカテリーナ」
そういってジュゼッペはカテリーナの髪を指先に絡ませた。
「瞳の色はジュゼッペね」
カテリーナはベビーベッドのわきに刺してある手製の”かざぐるま”を回した。
「・・ということは。おばあちゃんのロザンナと似ているんだな」

『親子というのはどこかが似ているものなんだ』
ジュゼッペは譲二の言葉を思い出していた。
「そうだ!カテリーナ。この子の名前をジョージとつけよう。彼の祖父と同じ名前だ」

浅倉譲二の孫はジョージ浅倉だ!


 それからあっという間に2年が経った。
ジョージはかわいい盛りだったがジュゼッペには気がかりがあった。
いつまでも逃亡生活を続けてずっとここにいるわけにはいかない。
ジュゼッペもカテリーナもいつか追っ手がここにも来るのではないかと心配して村の外へ出ることはほとんどなく、年寄りしかいない農家の手伝いなどをして細々と暮らしていた。
そんなある日、リュームがまた玉ねぎをいくつか新聞に包んで持ってきてくれた。
ジュゼッペはその古新聞紙の記事に目が釘付けになった。

『マフィア、ギャラックによって殲滅さる。BC島は生まれ変わった』

日付はちょうど一か月前だった。
その文字を見つめながらジュゼッペは決心した。
島へ帰ろう。ジョージに新しく生まれ変わった自分たちの故郷を見せてやるんだ。


(つづく)


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